発電用 堤高(m) 71.5 堤頂長(m) 216.6 堤体積 (千立方m) 235 総貯水容量(千立方m) 31900
『四国三郎最初のダム』
四国西部の背骨である石鎚山系のひとつ長沢山に造られたこのダムは、四国三郎吉野川の最上流のダムである。吉野川はこの長沢貯水池上流から10キロ弱上った1896メートル『瓶ヶ森女山(かめがもりめやま)』の南斜面『白猪谷』に源流を発し、四国四県より多くの支流を束ねながら総延長194キロを旅して紀伊水道に流れ出るのである。
『長沢ダム』は下流の「大橋ダム・稲村ダムコンビ」(33番34番札所参照)同様の「揚水発電ダム」である。しかし驚くことに、吉野川最上流の山奥のこのダムが、実は「下池」にあたる。より標高の高さを求められる「上池」はダム南方の大森山からより奥地に分け入るまさに前人未到の『大森川ダム』である。こんな山奥のダムとそのさらに山奥のダム同士で発電蓄電システムが何十年に渡って人知れず動いているという事実自体、一般の人の想像だにしないことであろう。これぞ「四国の自然の地形」と「人の知恵と努力」とのコンビネーションの賜物であると言えよう。
また、『長沢ダム』は太平洋戦争が勃発した1941年に工事を始め、途中戦争で中断したものの終戦後再開されて完成した戦時中のダムでもある。そんな時代にあっても日本の将来のためにダムを完成させようとした当時の方々のご苦労の上にこそ今の我々の豊かな生活があるのだということを、改めて思い知ることができる。100年前後にも渡る稼動を目されて建造されている「ダムという構造物」は書物に勝る身近な歴史の見届け人でもあると言えまいか。
判子のありか 「ひとこと欄」参照
ダム便覧 http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2306
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「県道40号線を上っていくと遥かに見えて来る。(画像はクリックすると拡大します) 県道の本線を行けば堤項へ左に下ればダムの下流基部へ。」
県道40号線を上っていくと遥かに見えて来る。(画像はクリックすると拡大します) 県道の本線を行けば堤項へ左に下ればダムの下流基部へ。
「戦中戦後の物資の乏しい中で建造されたダムだけあって、そこはかとなくそれらしいオーラを帯びる。」
戦中戦後の物資の乏しい中で建造されたダムだけあって、そこはかとなくそれらしいオーラを帯びる。
「堤項より下流の吉野川を望む。」
堤項より下流の吉野川を望む。
「ダムの右岸方向。この方向の大森山を越えた地点に上池である『大森川ダム』がある。」
ダムの右岸方向。この方向の大森山を越えた地点に上池である『大森川ダム』がある。
「県道40号線をさらに上ると吉野川源流への登山口『白猪谷』へ(画像をクリックすると拡大します)。さらに県道を奥へとすすむと、絶景の高原道路『瓶ヶ谷林道』と予佐越(よさこい)峠で合流し、さらに石鎚山登山口である『土小屋』から面河方面に抜けることができる。」
県道40号線をさらに上ると吉野川源流への登山口『白猪谷』へ(画像をクリックすると拡大します)。さらに県道を奥へとすすむと、絶景の高原道路『瓶ヶ谷林道』と予佐越(よさこい)峠で合流し、さらに石鎚山登山口である『土小屋』から面河方面に抜けることができる。
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